初めて花火を見た日本人は誰なんでしょうか?
紀元前3世紀、古代中国で火薬のもととなる硝石が発見されたのがルーツとされており花火には長い歴史がある。では、日本で最初の花火は誰が見たんでしょう?1613年に英国王の使者ジョン・セリスが江戸幕府初代征夷大将軍、かの徳川家康に献上したという『駿府政事録』の記録が残っており、家康が花火を最初に見た人だとされていた。ところが、1972年に出版された『仙台藩資料大成』に収録の『伊達家治家記録』に、1589年には米沢城で伊達政宗が唐人による花火を楽しんだとの記述が見つかった事により、伊達政宗説が急浮上。何れにしても最初に花火をご覧になったお方は、とてもとてもお偉い方であった事には間違いありませんね。
よく花火大会で打上られる〇〇玉花火は
何処から見ても丸いのです

花火の断面図

日本の花火は、玉を割る火薬が中央に仕込まれていて、中心から爆発したのちに「星」と呼ばれる火薬が四方八方に球状に散ることから、上下左右どこから見ても円形に見える。
これは日本では花火大会が町のあらゆる角度から見られていたため、どこから見ても同じ綺麗な球状にする必要から発達した技術で、日本独自のもの。所謂通はこの技術で作られた花火が開いたときの球円を「盆」と呼び、完全な円になるのが理想的。
花火通の4つのポイント
その(1):「玉の座り」
  ⇒ 打ち上げられた玉がちょうど昇りつめた時に開くのがベスト
その(2):「盆」   
  ⇒ 玉の大きさに見合った広がりで、まん丸に開くのがベスト
その(3):「肩」   
  ⇒ 飛び散る星が放射線状にまっすぐ飛んで円形になるのがベスト
その(4):「消え口」 
  ⇒ 星の全てが一斉にパッと消えるのがベスト


花火を球状に開くことを目的に発達した事から、花火競技大会でも「盆が良いか悪いか」などが重要な審査基準となっている。
尺玉”の大きさは?その打ち揚がる高さは?重さは?
打揚筒内径が三寸(約9㎝)を使用して打ち揚げる花火玉を3号玉と呼び、同じく一尺(約30㎝)は10号玉と呼びます。一般的に大玉と呼ばれる物の基準となる「尺玉」は、直径約28.5cmの10号玉のこと。よく言う〇号玉とは、玉のサイズではなく打揚筒内径のサイズなのでイメージするサイズよりやや小さい。打ち揚がる高さは、分かりやすい例でたとえると、直径約28.5cmの尺玉(10号玉)で300m。それは東京タワー(約333m)とほぼ同じ高さまで上がっている。直径約86cmの三尺玉ともなるとスカイツリーと同じ程度の600mに到達する。因みに、これは花火が打ち上がる高さ(開く前の玉の高度)で、その到達点を中心にさらに花火が開くので、その高さはさらに高い。5号玉(14.4cm)でも約200m打ち上がって、約150mの大輪となるので、その花火の最高到達点は上空約280mになる。尺玉だと約440m、三尺ではなんと約900mに達する。

玉の重さもビックリ、5号玉直径約14.4cmで約1.1kg、3尺以上になると重さは200kg以上となりクレーンを使用して準備している。その花火の美しさもさることながら、200kgもある物を打ち揚げようとしてそれを打ち揚げてしまう事、その事も相当に凄い事ですね。



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